もしかして、億万長者~?! その1
2020年4月8日 日常 コメント (6)一昨日のこと、郵便受けに夫あてに1通の受取人指定の郵便物が届く。
受取日をあくる日にして、ワクワクしながらいた。
なんとなく、遠い親戚が死んじゃって遺産がはいる。
みたいな感じの展開なのかしら????
えーどうしよー何買ってもらおうー。
じゃじゃ、ぬるい風しか出なくなった食器乾燥機は絶対よね。
あー10年以上使って擦り切れそうなマルチカバーもいるよね。
そだ、空気清浄機ほしい。捨ててから新しいの買ってないじゃん。
夢は広がる他人のお金。
だって、似たようなことが現にあった。
うちの母の母。私の祖母は母が1歳になる前に生き別れてる。
「お前の母親は死んだ。」と言われて意地悪な継母に
育てられたけど、ある身内から「お前は新潟の糸魚川で生まれた。
母親はそこにいるはずだ」と聞かされた。
母も波瀾万丈な人生を送っていたし、母親が新しい人生を送っていたら・・・
と思うと探すこともできずにいた。
っていうか個人で探すのは結構なことでしょう・・・旧姓すらわからない。
今から20年くらい前?あて先がかなりややこしい感じの封筒が母あてに届いた。
以前住んでいた住所と今住んでいる住所がパズルのように書かれてた(笑)
差出人を見ると新潟。
中をみると要は「あなたの母親が亡くなりました。財産放棄をしてください」
長男とおぼしきひとからの手紙だった。
これを読んだ私はとっても淋しくなったが、母の気持ちが大事。
お金よりも何よりも、母の母はどんな人であったのか知りたかろうと思った。
とりあえず電話番号が書いてあったので母に代わって私が電話してみた。
祖母は94歳で亡くなった。その少し前から認知もでていて入院をしていたが
看護師さんから「お子さんは何人?」と聞かれて「5人」と答える。危惧していた。
新潟では3人しかいない。あとの2人は母と生まれてすぐに亡くなった兄だ。
三兄弟は、我が母親が以前にも結婚をしていて子供を産んでいたことを
知らなかったらしい。でも、親戚のひとりが子供は知らないが結婚は知っていた?とか
で、じゃ亡くなったときに遺産相続で問題が。
取られるとイケナイ子供がほかにいたら放棄させよう。といったところだ。
そして、我が家に手紙が届いた。
なので・・・祖母がどんな人だったのかも聞ける感じではなかった。
相手は放棄させることしか頭にないので・・・
それどころか、「うちの母親は、どうして黙っていたんだろう・・理由を近所のイタコに聞きます」
えっ??イタコ??あなた今、イタコと??そうか、イタコなんだ~。
「それにあなたのお母さんは、どうして自分の親を探さなかったの?それくらいできなかったの?」といわれた。
この一言でカチンと来てしまった私。許さん・・・
そちらのお話は分かりました。後ほどうちの弁護士からご連絡さしあげます。
電話を切った。それから知り合いの弁護士に連絡した。
ごめん、おかあちゃん・・・何もいらないから写真1枚をもらってあげようと思ったけど。
ごめん、喧嘩させてもらう。結果、損してでも「はいはい」と印は押せない。
もし、あちらが友好的だったら。祖母の話をしてくれて
実の母に会えずに辛い思いをして育った母を思いやってくれるやさしい言葉が
一言だけでもあったなら・・・
向こうの弁護士がグズグズのダラダラで時間がかかった。
母の取り分は法的権利で800万ほどあるが、お金がないので
家を売って作らないといけないのでと言われた。そこまで鬼じゃない。
動かせるお金が預貯金で300万だと。それでいいと言った。
弁護士は、800万の権利があるんだからもらっていいんだよ。
と何度も言ってくれた。
ま、自身の取り分も変わってくるしね(笑)
この一連のことを母は、私に託した。結果もこれでいいよ。と言ってくれた。
でも、ずっと本当はこれでよかったのか考えるんだよ。
「わかりました。判を押します。その代わり写真を1枚いただけませんか」
そうすればよかったんじゃないかと・・・
あぁ・・・思い出しても涙が出る・・・
母に相当な意地悪をした継母の命日が明日だ。
晩年、母に優しくしてくれたこともあったようだった。
もっと早くに優しい気持ちになってくれていたなら・・・
きっとみんな幸せだったと思う・・・
受取日をあくる日にして、ワクワクしながらいた。
なんとなく、遠い親戚が死んじゃって遺産がはいる。
みたいな感じの展開なのかしら????
えーどうしよー何買ってもらおうー。
じゃじゃ、ぬるい風しか出なくなった食器乾燥機は絶対よね。
あー10年以上使って擦り切れそうなマルチカバーもいるよね。
そだ、空気清浄機ほしい。捨ててから新しいの買ってないじゃん。
夢は広がる他人のお金。
だって、似たようなことが現にあった。
うちの母の母。私の祖母は母が1歳になる前に生き別れてる。
「お前の母親は死んだ。」と言われて意地悪な継母に
育てられたけど、ある身内から「お前は新潟の糸魚川で生まれた。
母親はそこにいるはずだ」と聞かされた。
母も波瀾万丈な人生を送っていたし、母親が新しい人生を送っていたら・・・
と思うと探すこともできずにいた。
っていうか個人で探すのは結構なことでしょう・・・旧姓すらわからない。
今から20年くらい前?あて先がかなりややこしい感じの封筒が母あてに届いた。
以前住んでいた住所と今住んでいる住所がパズルのように書かれてた(笑)
差出人を見ると新潟。
中をみると要は「あなたの母親が亡くなりました。財産放棄をしてください」
長男とおぼしきひとからの手紙だった。
これを読んだ私はとっても淋しくなったが、母の気持ちが大事。
お金よりも何よりも、母の母はどんな人であったのか知りたかろうと思った。
とりあえず電話番号が書いてあったので母に代わって私が電話してみた。
祖母は94歳で亡くなった。その少し前から認知もでていて入院をしていたが
看護師さんから「お子さんは何人?」と聞かれて「5人」と答える。危惧していた。
新潟では3人しかいない。あとの2人は母と生まれてすぐに亡くなった兄だ。
三兄弟は、我が母親が以前にも結婚をしていて子供を産んでいたことを
知らなかったらしい。でも、親戚のひとりが子供は知らないが結婚は知っていた?とか
で、じゃ亡くなったときに遺産相続で問題が。
取られるとイケナイ子供がほかにいたら放棄させよう。といったところだ。
そして、我が家に手紙が届いた。
なので・・・祖母がどんな人だったのかも聞ける感じではなかった。
相手は放棄させることしか頭にないので・・・
それどころか、「うちの母親は、どうして黙っていたんだろう・・理由を近所のイタコに聞きます」
えっ??イタコ??あなた今、イタコと??そうか、イタコなんだ~。
「それにあなたのお母さんは、どうして自分の親を探さなかったの?それくらいできなかったの?」といわれた。
この一言でカチンと来てしまった私。許さん・・・
そちらのお話は分かりました。後ほどうちの弁護士からご連絡さしあげます。
電話を切った。それから知り合いの弁護士に連絡した。
ごめん、おかあちゃん・・・何もいらないから写真1枚をもらってあげようと思ったけど。
ごめん、喧嘩させてもらう。結果、損してでも「はいはい」と印は押せない。
もし、あちらが友好的だったら。祖母の話をしてくれて
実の母に会えずに辛い思いをして育った母を思いやってくれるやさしい言葉が
一言だけでもあったなら・・・
向こうの弁護士がグズグズのダラダラで時間がかかった。
母の取り分は法的権利で800万ほどあるが、お金がないので
家を売って作らないといけないのでと言われた。そこまで鬼じゃない。
動かせるお金が預貯金で300万だと。それでいいと言った。
弁護士は、800万の権利があるんだからもらっていいんだよ。
と何度も言ってくれた。
ま、自身の取り分も変わってくるしね(笑)
この一連のことを母は、私に託した。結果もこれでいいよ。と言ってくれた。
でも、ずっと本当はこれでよかったのか考えるんだよ。
「わかりました。判を押します。その代わり写真を1枚いただけませんか」
そうすればよかったんじゃないかと・・・
あぁ・・・思い出しても涙が出る・・・
母に相当な意地悪をした継母の命日が明日だ。
晩年、母に優しくしてくれたこともあったようだった。
もっと早くに優しい気持ちになってくれていたなら・・・
きっとみんな幸せだったと思う・・・
コメント
こんな事言ったらアレですが、まるでドラマのようです…!
本当にそういう事があるんですね。
でも私もそんな事言われたら戦いたくなりますわ。
探せるもんならとっくに探してるし!!
探さない=実母に会いたくない、というのは遺産が欲しい遺族の都合の良い解釈ですよね。
探せない事情も察せないお前らに、本来自分の母親が受け取るべき遺産を渡せるか!ってなもんで。
私は都さんの行動を支持しますよー!
ウチの場合、夫が納得すれば私が口出しは出来ませんが(-_-;)
お金って…人を変えるのかな?
せめて写真一枚…切ないな…。
人の数だけ人生があって、その数だけ物語があるんだなって思ったよ。
都ちゃんの行動。私も支持します。
あるんですよぉ~
でもね、うちの母「私は本当はお金持ちの家の娘で
お母さんがいつか迎えに来る」って言ってました(笑)
私も叱られるよと「私の本当のお母さんは優しい人で~」
と言ってました(笑)
イタコには驚きましたけどね・・・
有難う!そう言ってもらえると嬉しいです。
結構、カチンとくるとダァーーーーっていくタイプなので^^;
ご主人様もそのような経験が・・・
悲しいというか切ないというか・・・
そうですね、私もそう思います。お金ではないんですよ・・・
気持ちなんですよね、だから新潟の人は結局失いましたよね。
でも、きっと取られたくない。って思うのが普通なのかもしれません。
私だったら、会ってみたい兄弟だと思うんですけどね。
でもでも、世間的には「会ってもろくなことがない」って言われるんでしょうけど。
まるで、ドラマのようでした。
母がさ、「どうして、うちを手放したんかね?うちじゃったら
我が子を絶対に手放さん」と言ってましたよ。
でも、母親(父方のひいばあちゃん)が息子(祖父)と孫(母)を
連れて新潟から広島にきた。っていうから、ひいばあちゃんが
奪い取ったような気がするんだよね・・・
祖父は私が24歳の時に亡くなったんだけど、なぜか聞けないでいたんだよね。
昔はさ、家を守るべく?兄弟が我が子になったりとか
訳の分かんないことが結構あったり複雑だよね^^;
支持してくれて有難う。「間違ってないよ」って言われると救われるよ。