父は12年前に亡くなった。
父と母は、私が14歳の時に離婚した。
父は結婚当初からアル中で、DVで愛人がいた。
どうしようもない父だった。
父は月の殆どを愛人宅で過ごし時々帰ってきた。
選挙の時には、必ず帰ってきて母と投票に行った。
いつも酔っぱらっているので家族で会話をすることがなかった。
父が家にいると家の中が暗いので、早く出て行ってほしいと思っていたが
私はそんな父をすごく嫌いではなかった。
そのどうしようもない父は、他人さまに優しかった。
お金に困っている人には自分が借金してまで工面するようなひとだった。
父が亡くなったときに、サラ金などからも借りているかもしれないからと
密葬で葬儀を行った。
母はもちろん、兄も参列せず私だけが傍にいた。
ほぼ知られていないはずなのに、何人かの知らないおじさんたちが
父のもとにきて口々に「世話になった、本当に世話になった」という。
うちは父がお金を持って帰らないのでいつも貧乏だった。
母は、お金がなくて困っていても父にそれを言わなかった。
愛人と別れてほしいのにそれを言わなかった。
幼いころ、兄がラジカセが欲しいといった。
で、私も真似をして父にねだってみた。
父はとても喜んで、会社の人間にいろんなメーカーのラジカセを
持ってこさせた。(父は電気工事の図面を書く仕事をしていて
店舗もあった)部屋中がラジカセだらけになった。
父はニコニコして嬉しそうだった。
父はどんな形でも自分を頼ってくれる人が好きだった。
たとえ騙されていても。
頼られることで自分の価値を感じていたのだろう。
父は頼られたかった。きっと、いちばん母に・・・。
身勝手な父だったが愛されたかったのだろう、
私は、父が好きだった人はやはり母だけだったと思う。
父と母は、私が14歳の時に離婚した。
父は結婚当初からアル中で、DVで愛人がいた。
どうしようもない父だった。
父は月の殆どを愛人宅で過ごし時々帰ってきた。
選挙の時には、必ず帰ってきて母と投票に行った。
いつも酔っぱらっているので家族で会話をすることがなかった。
父が家にいると家の中が暗いので、早く出て行ってほしいと思っていたが
私はそんな父をすごく嫌いではなかった。
そのどうしようもない父は、他人さまに優しかった。
お金に困っている人には自分が借金してまで工面するようなひとだった。
父が亡くなったときに、サラ金などからも借りているかもしれないからと
密葬で葬儀を行った。
母はもちろん、兄も参列せず私だけが傍にいた。
ほぼ知られていないはずなのに、何人かの知らないおじさんたちが
父のもとにきて口々に「世話になった、本当に世話になった」という。
うちは父がお金を持って帰らないのでいつも貧乏だった。
母は、お金がなくて困っていても父にそれを言わなかった。
愛人と別れてほしいのにそれを言わなかった。
幼いころ、兄がラジカセが欲しいといった。
で、私も真似をして父にねだってみた。
父はとても喜んで、会社の人間にいろんなメーカーのラジカセを
持ってこさせた。(父は電気工事の図面を書く仕事をしていて
店舗もあった)部屋中がラジカセだらけになった。
父はニコニコして嬉しそうだった。
父はどんな形でも自分を頼ってくれる人が好きだった。
たとえ騙されていても。
頼られることで自分の価値を感じていたのだろう。
父は頼られたかった。きっと、いちばん母に・・・。
身勝手な父だったが愛されたかったのだろう、
私は、父が好きだった人はやはり母だけだったと思う。
コメント
私の父は、母のことが一番だったけれど、でも、母亡きあと、後妻さんを貰いました。
子供たちは、皆、成人してましたけれど、内心は、嫌で嫌でたまりませんでした。
特に、その人が母と全く正反対な人だったこと、一番嫌でした。
父は、
「これから子供を育てていくならば、母さんのような人を選んだけれど、残された人生、面白おかしく暮らすことにしたよ!」
と。
財産の半分以上をむしり取られて…。
人生の最後の最後に、父は、その人の本性が分かったようでした。
私たち姉妹は、実家にも入れず、実家近くのホテルに滞在して、父の最期を看取りました。
今は、両親一緒のお墓に入り、母からのお小言を笑いながら聴いていることでしょう。
>好きだった人は、やはり母…
私も、絶対にそうだと思います!!
一文字一文字が心に沁みました。
そうだね。それぞれの夫婦にはそれぞれの形があって…
そして夫婦関係を解いた後でもそれぞれの心の通い合いがあって。
都ちゃん。私もお父さんが一番好きだったのはお母さん。そう思うな。
都ちゃんが人様の事甲斐甲斐しくお世話したり気遣いしたりすりのはお父さん譲りなのかも知れないなぁ〜なんて思ったよ。
そんなお父さんとお母さんがご両親の娘さんで良かったね。
お父さん、もしかしたらお母さんに甘えて欲しかったんですかね…。
お母さんは苦しんだでしょうが、都さんにとっては根っからの悪人ではなかったという事ですね。
ジュリーの歌じゃないですが「憎みきれないろくでなし」と言ったところでしょうか。
人を引きつける魅力のある人だったんですね。
良い お話ですね ホロッ と 涙が出て来ますね
切ないけどそれだけでないものも感じました。
どんな時も、誤解を恐れずに言葉を尽くして
気持ちを伝えることが大切ですね。
私にも大切な人が出来た時は、このお話を
思い出して向き合えたら、と思います。
考えてしまいました。
親も人の子ですが、子供に心配かけちゃいけませんね^^;
親が子供を思うように子も親を思いますからね。
でも、そういった後妻さんのような人はバチがあたりますから。
一緒のお墓にはいられたのですね。
落ち着くところへ落ち着いた。ということですね^^
実はね、母に昔言われたよ。
「あんたは、おとうちゃんそっくり。得にもならないことばかりする」って。
なはは、仕方ないよね~親子なんだもの(笑)
そうなのよ、甘えてほしかったのよ。うん。
母は、父のことが頼りにならん。って思ってたから
何でも自分でしちゃう。大工さんみたいなことも
それがまた、父より上手だったりする。
でも、うちの母は編み物が得意で父の腹巻(めっちゃ昭和)を
いつも編んでたなぁ~
「憎み切れないろくでなし」めっちゃ懐かしい(笑)
娘は案外と父親のこと放っておけないものなんですよ^^
先生も娘さんいらっしゃいますね。
見てますよ、お父さんのこと(笑)
言葉は大事ですよね。
どんなに思っていてもやっぱり言葉にしなくては
伝わりませんものね、テレパシーは使えないですからね。
あと、素直さも。。。ただ、これはとっても難しい~っ(笑)
そうですね~
娘さんはおいくつなんでしょうか?
ある程度の年齢になったら娘はお母さんのようになる気が?(笑)
父親のお世話するというか奥様に似てくるというか。
私は30歳くらいの時から、父親に対して丸くなりましたね。
彼女は、実家のお墓には入りません。
父は、母と同じお墓に入りました。 落ち着くべき場所です。
彼女が、今、どうしてるか…。
風の噂も聞こえてきません。 実家を売り払い、いずこかに…。(-_-;)
本当に罰当たりのお方ですよね・・・
お父様、お母様に叱られながらもお幸せですよね^^きっと。