昨日は整形の受診日、二週間ぶりの外の空気。
1111 おぉ~♪
思わずくじ引きでも当たったかのような感動。
再診受付機の前で喜んでいると病院の方も笑顔になったりする。
しかし、レントゲン撮影で4室あるうちの2室がメンテナンンス中で
2室しか稼働しておらず連休明けもあるのか大入り満員状態。
後から来た入院患者さんが先に撮るという・・・
前からのオーダーかもしれないが、外来患者を優先してほしい
入院患者さんはなるべく午後からとか・・・無理ですか?
ってか、メンテナンスを今日?今の時間?するの??
寝たきりの母を車椅子で長時間、座位を取らせておくのも可哀想なのだ。
骨折は相変わらず、まだまだの様子。
帰り、介護タクシーを待つ時に母が「帰りたくない・・・」とポツリ
切ない気持ちになる・・・
自宅に連れて帰ることができない。
入院中で誰とも会わず誰とも喋らずの日々・・・
母の心を思うと本当に切ない。
いっそ、クリニックの近くに部屋を借りようか・・・
そしたら、朝に昼に晩にそばにいてやれる・・・
時間のある時には昼もいくのだが、先日は同じ日に
2度雨に降られた。1度目は合羽を着ていなかった。
二度目は、合羽は着ていたが冷たい雨で喉が痛い感じだ。
もう、昔のように無理がきかなくなってきた。
身体が二つあれば、一人を母の傍にいさせて撫でてやれるのに・・・
1111 おぉ~♪
思わずくじ引きでも当たったかのような感動。
再診受付機の前で喜んでいると病院の方も笑顔になったりする。
しかし、レントゲン撮影で4室あるうちの2室がメンテナンンス中で
2室しか稼働しておらず連休明けもあるのか大入り満員状態。
後から来た入院患者さんが先に撮るという・・・
前からのオーダーかもしれないが、外来患者を優先してほしい
入院患者さんはなるべく午後からとか・・・無理ですか?
ってか、メンテナンスを今日?今の時間?するの??
寝たきりの母を車椅子で長時間、座位を取らせておくのも可哀想なのだ。
骨折は相変わらず、まだまだの様子。
帰り、介護タクシーを待つ時に母が「帰りたくない・・・」とポツリ
切ない気持ちになる・・・
自宅に連れて帰ることができない。
入院中で誰とも会わず誰とも喋らずの日々・・・
母の心を思うと本当に切ない。
いっそ、クリニックの近くに部屋を借りようか・・・
そしたら、朝に昼に晩にそばにいてやれる・・・
時間のある時には昼もいくのだが、先日は同じ日に
2度雨に降られた。1度目は合羽を着ていなかった。
二度目は、合羽は着ていたが冷たい雨で喉が痛い感じだ。
もう、昔のように無理がきかなくなってきた。
身体が二つあれば、一人を母の傍にいさせて撫でてやれるのに・・・
コメント
アパート、借りたいですよね~。
お気持ち、わかります…。
そこです・・・経済的なことです・・・
以前、母が手術した病院は個室が広く補助ベッドも余裕でしたが、
今のクリニックの個室は狭くとてもベッドを並べることができません。
通りに「空き室あり」の文字を見て思わず気持ちが・・・
3ちゃん、絵描き歌で数字の3がタヌキになるのですが
さんちゃんが散歩して三円もらって豆買って~♪で、タヌキの完成です。
多分、昭和43年には5歳で書いていたと思われます(*^^*)
(今までもそれなりの旦那様の協力もあったのは書いてましたもんね。車での送り迎え等など。)
健康な体あればこその介護だからと分かっていても
看ることができるのは限られた人間で。
要介護5だし、色々と周りにも迷惑もかける母・・・
何とか少しでも楽にと思った矢先の骨折。
「娘さんも息抜きされては?」絵に描いた餅だよ・・・
母も私もそんなに人様に迷惑かけるような生き方をしてきたのか?
と恨み節でも言い出してしまいそう。
まるちゃんもくれぐれも体には気をつけて、自分を守ることができるのは
自分だけだから。入院や旅行でお母様と長期にわたって関わらなくても
なんとかどうにかいける。と証明できたのだから、それを踏まえて
これからを考えてみてもいいんじゃないかな。
まるちゃんちの場合は、うちと違ってまるちゃんがNOと思えば
言えば何とかなる気がする。
旦那様もうちとは違って協力してくれる。大切にしなきゃね。
でも、まずは健康。それが大前提だよ。
なんで、私が考えていたことがわかったんだろ・・・
そう・・・以前はしてくれてたよね・・・送ってくれたり
迎えに来てくれたり。2年前から無視されるようになった。
病気が見つかって手術が決まってと私の一番しんどい時から。
今は、「おまえの勝手だろ」みたいな・・・
孤独だよ、本当に孤独だよ・・・
ずぶ濡れで帰っても知らんぷりだよ。
でも、選んだのは私なんだよね・・・
友人の体験では私設のホームから特養に移ったら、人手は有るし、面倒もきちんと看て貰えたと言っていました。少し遠く毎日行けなくても、毎日誰が声をかけてくれ、放っておかれることがない環境も考えられては如何かしら?
お母様から少し離れる事によって、心に余裕を持つことも、ある意味親孝行だと思いますよ。
昭和43年。 4歳の可愛い都さんの姿が浮かびます。
私は、その時、何してたかしら…。
ちょうど、主人と出会った年。(笑)
あれから、半世紀。 主人とは長い付き合いになりました。(笑)
最近は、保護者気取りで、煩いこと言いますが、感謝しなくてはいけないのでしょうね~。
おなかの中では罵ってますが。 「うるさい!」と。(笑)
おかあさまのこと、頭が下がります。
有難うございます。
うーん・・・・これがなかなか・・・・
ここで文句言っていますが、加齢による体力下降の不甲斐なさからでして^^;
私は母が大好きで愛おしいのです・・・守ってやりたいのです。
学校にも行かせてもらえず、ずっと苦労し通しで、親の愛情も受けられずに生きてきた、
夫からも暴力を受け、幼い兄と私に覆いかぶさり守ってくれた
守ってくれたのは母ひとりだったんです。
心も体も傷だらけだった母を少しでも幸せにしてあげたいのです。
人は親離れが子離れが出来ていないのだと言いますが
もう、その時期はとうの昔に過ぎてしまいました。
だって母は赤ちゃんになってしまったのだから。
母の介護は私のわがままでさせてもらっているのです。
傍にいたいのです。。。
あきれちゃってください(笑)そして、激を飛ばしてやって下さい、Mさん(*^^*)
絵描き歌、あれは貴重です。憶えているもんですね~
50年経ってお孫ちゃんにも教えてあげれるという。
そうですか、私が道路に落書きしている頃にはアミさんは
ご主人さまと出会って。。。月日は積み重ねですね。
良いご夫婦だと思います。私の隣に住んでいてほしいご夫妻です。