もう一度犬が飼えるなら。。。
2019年5月8日 ペット コメント (4)やっぱりチワワを飼いたい。
幼い頃からずっとワンコと生活をしてきた。
昭和40年代には度々仔犬が捨てられていた。
私は、前に大きなポケットのついたエプロンをいつも
着せられていて、その中に仔犬を入れては連れ帰って
母を困らせた。しかし朝起きると仔犬がいない。
母は、仔犬のお母さんが迎えに来たと言っていた。
幼い私は、毎回それで納得をしていたそうだ。
が、よそから見つけてまた連れて帰る。
それでも何度か本当に飼ってもらった。
昔は夜は放し飼いのようなことが普通の感じで。
賢いコは、しばらくすると門のとこへ帰ってきたが
そうじゃないコはそのまま逃亡してしまったり、
時々帰り出て行く父の車の後を追っていなくなってしまったり。
雑種、シェットランドシープドッグや紀州犬もいた。
両親が離婚し引っ越しをした、経済的に苦しくなった。
15歳から20歳までは、犬を飼える環境に無かった。
20歳の頃、母が病気がちになり気分の落ち込みも酷かった。
そこで、仔犬を飼うのはどうだろうかと私が勝手に決めて
プードルの仔犬を飼うことにした。
片手サイズの真っ白いトイプードルのラブは、母と私にとても懐いた。
母も世話が焼けるといいながら毎日楽しそうだった。
プードルは賢い犬種なのだが、あまりにも甘やかして育てたので
かなりの我儘なお嬢さんに育った。散歩に連れて行くと
数mも歩かないうちに抱っこ抱っことなり散歩にならなかった。
ラブが10歳の頃に私は家を出た。
ラブは毎日、私の帰りを待ち玄関に座り続けたと母が言っていた。
家族みんなに愛されて16歳で虹の橋に行ってしまった。
夫と暮らし始めて、6年経った頃に犬を飼うことになった。
ミニチュアダックスかロングチワワで悩んだが、縁あって
痩せっぽちで臆病なブラックタンのロングコートチワワのトムと
暮らし始めた。臆病な性格なのでうちにきてからも数週間は
懐かず、シッポも振らず・・・ご飯も食べない抱っこも嫌がる
私は哀しくてどうしたらよいのか分からずに泣くこともあった。
沢山のワンコと出会ったがこんなに心を開いてくれない仔犬は
初めてだった。でも少しづつ少しづつ距離が縮まり、
私の腕枕で眠るようになった。だけど抱っこは嫌がる。
ずっと傍にいるよりも、同じ部屋にいる。その距離が好きという感じ。
それでも時々、体の一部だけを私にくっつけて丸くなっていたりした。
当時は仕事をしていたので朝出かける時も後を追うこともなく
一言「仕事に行ってくるから待っていてね」といえばくるりと
方向を変え自分のベッドですぐに横になった。
淋しいとか悲しんだりして鳴くこともなかった。
ただ一度だけ、割と大きな地震があって、その時はかなり鳴いていた
と隣の人から聞いた。帰って部屋に入るとたくさんの物が落ちて
隅の方で震えていて、名前を呼ぶと飛んできた。
臆病な割に、雷の音を恐れずにいた。花火の音も平気で。
でも散歩がキライで、「散歩」というと逃げ回っていた。
10歳を過ぎたころからアトピー性皮膚炎になりフサフサだった毛も
ステロイドの副作用で殆ど抜けてしまい背中もまがった。
元気にしていたが15歳になるころ夏の終わりに咳をした。
喉になにかひっかかったの?といった感じの咳が時々だが
一日続いた。おかしい。絶対。次の日病院へ。
僧帽弁閉鎖不全症と告げられた。投薬を始めると
副作用の為にみるみる食欲が落ちていった・・・
そして、あと2週間で15歳の誕生日だったが
その日を迎えることなく虹の橋へ。
奇しくも私の誕生日だった。
親に頼ることなくすべて自分で面倒をみた初めての犬だった。
全身全霊で愛した犬といってもいいだろうと思う。
そして、チワワに魅せられた。
チワワでも個体差はあると思うが自立心の強いところが
他の犬には感じなかったことだ。自分をもっている犬。
私の事をお母さんではなく仲間といった感じで接していたような。
それでも、死んでしまう二日前には、自分から私の膝に乗ってきて
丸くなって眠った。最期の時、私がいつも座っているパソコンの前
まで歩いていって倒れて永久の眠りについた。
ココは、先住犬ラブがいなくなって2年が過ぎたが、
母のペットロスが激しくかった。
もう二度と犬は飼わないという母の言葉を無視して
また、私が勝手に見つけて連れ帰った。
マルチーズの女の仔。
久しぶりの白くてフワフワの感触に母も元気を取り戻した。
母にべったりだった。母に抱っこされているときに
手を出して無理やり引き離し私が抱こうとすると
唸り声をあげるほどだった。それほど母が好きだった。
兎に角我慢強い子で、少々の事ではキャンと鳴いたりすることも無かった。
10歳までは幸せに暮らしていたが母が病気になり手術をして
それから介護が必要となり自宅では暮らせなくなった。
母が家にいなくなり、兄も仕事で日中はいない。
ひとりぼっちで過ごすことが多くなった。
ココは毎日鳴いていた。鳴いては眠り起きては鳴いた。
その様子をペットカメラで観るたびに胸が張り裂けそうだった。
時々、自宅に母を連れて帰るとココはとても喜び
母のベッドの下でまるで母を守るかのように眠った。
14歳を過ぎたころから時々てんかん発作のようなものを
起こすようになったが、毎日元気に過ごしていた。
15歳を過ぎ老犬になってからも家の中を走り回り
このコは20歳くらいまで生きてくれるのではないかと思うほどに。
16歳を過ぎたころ、実家の公営住宅の内装工事を
するために仮の家に引っ越した。環境の変化もあったのか
それから、少しづつ様子がおかしくなっていった。
歩くのが難しくなり、食欲も落ちていった。
たくさんの想いがあるけど、もうここには書くまい・・・
17歳と6日目。最期は私に挨拶をして
愛しいココは旅立っていった。
今、私はこの日記を書きつつ泣いている。
なぜ今日こんな日記を書いているのか自分でも分からない。
多分、最初はこんなことを書くつもりではなかったのだと思う。
ただ一つ言えることは、私は犬と暮らせて幸せだったと思う。
どのコも沢山の無償の愛と幸せをくれた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
幼い頃からずっとワンコと生活をしてきた。
昭和40年代には度々仔犬が捨てられていた。
私は、前に大きなポケットのついたエプロンをいつも
着せられていて、その中に仔犬を入れては連れ帰って
母を困らせた。しかし朝起きると仔犬がいない。
母は、仔犬のお母さんが迎えに来たと言っていた。
幼い私は、毎回それで納得をしていたそうだ。
が、よそから見つけてまた連れて帰る。
それでも何度か本当に飼ってもらった。
昔は夜は放し飼いのようなことが普通の感じで。
賢いコは、しばらくすると門のとこへ帰ってきたが
そうじゃないコはそのまま逃亡してしまったり、
時々帰り出て行く父の車の後を追っていなくなってしまったり。
雑種、シェットランドシープドッグや紀州犬もいた。
両親が離婚し引っ越しをした、経済的に苦しくなった。
15歳から20歳までは、犬を飼える環境に無かった。
20歳の頃、母が病気がちになり気分の落ち込みも酷かった。
そこで、仔犬を飼うのはどうだろうかと私が勝手に決めて
プードルの仔犬を飼うことにした。
片手サイズの真っ白いトイプードルのラブは、母と私にとても懐いた。
母も世話が焼けるといいながら毎日楽しそうだった。
プードルは賢い犬種なのだが、あまりにも甘やかして育てたので
かなりの我儘なお嬢さんに育った。散歩に連れて行くと
数mも歩かないうちに抱っこ抱っことなり散歩にならなかった。
ラブが10歳の頃に私は家を出た。
ラブは毎日、私の帰りを待ち玄関に座り続けたと母が言っていた。
家族みんなに愛されて16歳で虹の橋に行ってしまった。
夫と暮らし始めて、6年経った頃に犬を飼うことになった。
ミニチュアダックスかロングチワワで悩んだが、縁あって
痩せっぽちで臆病なブラックタンのロングコートチワワのトムと
暮らし始めた。臆病な性格なのでうちにきてからも数週間は
懐かず、シッポも振らず・・・ご飯も食べない抱っこも嫌がる
私は哀しくてどうしたらよいのか分からずに泣くこともあった。
沢山のワンコと出会ったがこんなに心を開いてくれない仔犬は
初めてだった。でも少しづつ少しづつ距離が縮まり、
私の腕枕で眠るようになった。だけど抱っこは嫌がる。
ずっと傍にいるよりも、同じ部屋にいる。その距離が好きという感じ。
それでも時々、体の一部だけを私にくっつけて丸くなっていたりした。
当時は仕事をしていたので朝出かける時も後を追うこともなく
一言「仕事に行ってくるから待っていてね」といえばくるりと
方向を変え自分のベッドですぐに横になった。
淋しいとか悲しんだりして鳴くこともなかった。
ただ一度だけ、割と大きな地震があって、その時はかなり鳴いていた
と隣の人から聞いた。帰って部屋に入るとたくさんの物が落ちて
隅の方で震えていて、名前を呼ぶと飛んできた。
臆病な割に、雷の音を恐れずにいた。花火の音も平気で。
でも散歩がキライで、「散歩」というと逃げ回っていた。
10歳を過ぎたころからアトピー性皮膚炎になりフサフサだった毛も
ステロイドの副作用で殆ど抜けてしまい背中もまがった。
元気にしていたが15歳になるころ夏の終わりに咳をした。
喉になにかひっかかったの?といった感じの咳が時々だが
一日続いた。おかしい。絶対。次の日病院へ。
僧帽弁閉鎖不全症と告げられた。投薬を始めると
副作用の為にみるみる食欲が落ちていった・・・
そして、あと2週間で15歳の誕生日だったが
その日を迎えることなく虹の橋へ。
奇しくも私の誕生日だった。
親に頼ることなくすべて自分で面倒をみた初めての犬だった。
全身全霊で愛した犬といってもいいだろうと思う。
そして、チワワに魅せられた。
チワワでも個体差はあると思うが自立心の強いところが
他の犬には感じなかったことだ。自分をもっている犬。
私の事をお母さんではなく仲間といった感じで接していたような。
それでも、死んでしまう二日前には、自分から私の膝に乗ってきて
丸くなって眠った。最期の時、私がいつも座っているパソコンの前
まで歩いていって倒れて永久の眠りについた。
ココは、先住犬ラブがいなくなって2年が過ぎたが、
母のペットロスが激しくかった。
もう二度と犬は飼わないという母の言葉を無視して
また、私が勝手に見つけて連れ帰った。
マルチーズの女の仔。
久しぶりの白くてフワフワの感触に母も元気を取り戻した。
母にべったりだった。母に抱っこされているときに
手を出して無理やり引き離し私が抱こうとすると
唸り声をあげるほどだった。それほど母が好きだった。
兎に角我慢強い子で、少々の事ではキャンと鳴いたりすることも無かった。
10歳までは幸せに暮らしていたが母が病気になり手術をして
それから介護が必要となり自宅では暮らせなくなった。
母が家にいなくなり、兄も仕事で日中はいない。
ひとりぼっちで過ごすことが多くなった。
ココは毎日鳴いていた。鳴いては眠り起きては鳴いた。
その様子をペットカメラで観るたびに胸が張り裂けそうだった。
時々、自宅に母を連れて帰るとココはとても喜び
母のベッドの下でまるで母を守るかのように眠った。
14歳を過ぎたころから時々てんかん発作のようなものを
起こすようになったが、毎日元気に過ごしていた。
15歳を過ぎ老犬になってからも家の中を走り回り
このコは20歳くらいまで生きてくれるのではないかと思うほどに。
16歳を過ぎたころ、実家の公営住宅の内装工事を
するために仮の家に引っ越した。環境の変化もあったのか
それから、少しづつ様子がおかしくなっていった。
歩くのが難しくなり、食欲も落ちていった。
たくさんの想いがあるけど、もうここには書くまい・・・
17歳と6日目。最期は私に挨拶をして
愛しいココは旅立っていった。
今、私はこの日記を書きつつ泣いている。
なぜ今日こんな日記を書いているのか自分でも分からない。
多分、最初はこんなことを書くつもりではなかったのだと思う。
ただ一つ言えることは、私は犬と暮らせて幸せだったと思う。
どのコも沢山の無償の愛と幸せをくれた。
感謝の気持ちでいっぱいだ。
コメント
なんだろう??このワンちゃん好き好きな感じ。
一緒にいてめっちゃ色々なものをくれたもん。
最近夢にまるが出てくるよ。それは嬉しい嬉しい夢だよ。
でも目が覚めてお線香をあげる時寂しくなるの。
まる、まる〜〜ぅって。思うんだ。
動画を見ると癒されるとかアドバイスもらって見るけど切なくなるのはどうしてなんだろう??
あの子達のあったかい体温感じたいよ。
もう一度 ネコを飼いたかったのですが 犬にしました
ネコに比べ犬の方が 外に散歩に行くし 寿命が短いだろうからと言う 理由です
僕たち(女房と僕)より 先に死ぬかも ネコや 犬を残して死ねないから と思ったからです
動画を見ても残念ながら癒されることは無いよね。。
余計に哀しくなると思うよ。。。
だって、やっぱり傍にいない現実を突きつけられるからね。。
愛犬まるちゃん、夢に出てきてくれるんだね、
トムは出てきてくれないなー。会いたいなー。。
体調はいかがですか?
なんだかいつまでも朝はひんやりですね。。
お身体大事にしてくださいよ。
先生、チワワを飼っているんですね。先生のうちのチワワちゃんは
お散歩が大好きで人間が大好きで、うちのトムとは随分違いますね。
チワワは社交的なコと内向的なコがいますからね。
いや、先生の育て方が良かったのかもしれませんね。
先生や奥様の気持ち、よく分かります。
私も置いてはいけないと思い、二の足を踏んでいます。