両親は、私が15歳の時に離婚しました。

幼い頃から父が家に戻るのは月に数度で
必ず夜中に酔って帰ってきました。
母・兄・私はいつも怯えていました。

父は兄を虐待していました。
母親として子供を可愛がるのは当たり前のことなのに
父はそれが気に入らなかったのです。

父は母にたいしてDVをしていました。
殴ったり髪の毛を引っ張って引きずり回しました。
母が外に逃げると兄の部屋に行き兄を虐待しました。
そうすることで母が家の中に戻って来ると計算していたのです

小学4年生の頃でした、このままでは、母が死んでしまう・・
そう思った私は階段の上に立っている父の後ろに立って
ここから突き落として殺してしまおうと思いました。
でも、恐ろしくなり出来ませんでした。

私が中学になると父は以前から付き合っていた愛人に
店を持たせました。
その頃から家に生活費を入れなくなりました。
母は、勤めを始めましたが父は酔って母の仕事場に
行き暴れました。

そして、暫くして離婚しました。

それまで住んでいた家を引越し、家族3人の生活が始まりました。
父はどこで調べたのか時折酔って家に来ました。
ドアを開けないといつまでもドアを叩き叫びました。

十数年の歳月が流れ、兄も私も大人になりました。

父は、後に愛人だった人と結婚しましたが
先立たれて、その後はひとりで暮らしていました。

離婚後、養育費も一切送ってこず父親としての責任を放棄
していた父。母は苦労をして兄と私を育ててくれました。

そんな、父からただ1つだけ教わったこと。
それはお箸の持ち方でした。
怖くて憎んだ父、その父に教わったお箸を持つ
私の手は、父とそっくりの指でした・・

父の葬儀は、訳あって身内だけの密葬となり
葬儀には、母、兄は来ず私だけ出席しました。
本来なら兄が喪主となるのですが、叔父が喪主を
務めてくれました。

私は、叔父の隣に座りました。
後から後から涙が溢れます。

棺に手紙を入れました。

お父ちゃんへ

さようなら 有り難う
今度生まれてくる時は、もう少し幸せな人生を
送れますように・・

        さようなら

                娘より

出棺後、本来ならば喪主が霊柩車に同乗するのですが
娘である私に同乗するように促されました。

父と初めてのドライブは霊柩車で火葬場まで・・

最後のお別れです・・

父の棺に近寄り顔を見たとき堪えきれず叫びました。
  お父ちゃん! お父ちゃん!

お父ちゃん、娘の声が聞こえましたか?
2ヶ月前に声かけれなくてごめんね、ごめんね・・

私の携帯電話には父の自宅の電話番号が登録されています。
一度もかけることのなかった番号。
もう、使われなくなってしまった番号
15年前、従兄弟の結婚式で渡されたもの
「何かあったら電話してきなさい」

まだ削除はできません・・

お父ちゃん・・ ごめんね・・
一人ぼっちだったね・・

ごめんね。

お酒に溺れてしまったのは訳があったんでしょうに・・
心を病んでいたんだろうに

本当に生まれ変わったら普通の人生を・・



しかし
こんな感情に浸る間もなく、騒動がはじまる・・・

コメント

佐為
2006年12月11日18:21

上手く言えないんですが、親子 夫婦 兄弟。。。。。人との繋がり 不思議で奥の深いものですね。

「ごめんね」・・・・・これはちゃんとお父さんを見送ることが出来たことで、心 悩まさなくてもいいと思いますよ。
最後 ちゃんとお別れできて良かったですね。

これからの事 大変だと思いますが、都さん一人悩むことなく、ご家族を含め、そして専門家の意見を聞くのもいいかもしれないですね。

都わすれ
都わすれ
2006年12月12日22:02

佐為さん
有り難うございます。繋がり、ほんと不思議なものです。
あれこれと問題がでてきて大変です・・
でも、自分自身のこと頑張らねば  です・・(笑)

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索