OCD<強迫性障害>とは・・・
2004年1月26日 強迫性障害<OCD> コメント (1)●「強迫性障害」とは
不安がひどくなり、自分でも気にする必要がないとわかっていても、気になって頭から離れずに、ほかのことが手につかなくなることを「強迫観念に襲われる」と言い、この強迫観念が異常に強くなって、日常生活にまで支障をきたす状態を「強迫性障害」と言います。
本人もバカバカしいことだと自覚していますが、やめられないのです。強迫観念には次のようなものがあります。
・ガス栓の閉め忘れや鍵のかけ忘れが気になって、強い不安に襲われます。
・自分が汚いものにさわるのではないか、細菌に感染するのではないかなどという強迫観念から、特定のものにさわることができなくなります。公衆電話の受話器や電車の吊り革にさわれない、公衆トイレに入れないなどが多く、ひどいときには家から出ることができなくなります。
・満員電車に乗ると女性にワイセツな行為をしてしまうのではないか、プラットホームにいると電車に飛び込んでしまうのではないかなど、絶対にそんなことをするはずがないと頭でわかっていながら、その衝動にかられそうになって不安になります。
・机の上が乱雑だと強い不満を抱いたり、物が対称に並んでいないと気になってしかたがなくなります。
・手の皮膚がすり減るほど手洗いを繰り返すなど、何度も何度も同じ行動を繰り返してしまいます。
(ここに揚げたのはほんの一例です)
因みに私は、ガスの元栓が気になる、戸締りが気になるなどの確認癖の強迫性障害です。
発病して4年になります。この4年間回りの人に「気の持ちよう」「性格が弱いからで、気合が足りない」などと理解してもらえず、自分の力で、何とか克服しょうとしてきましたが、毎日が苦しく、いっそ、いなくなりたいと考えていました。発病当時、心療内科に掛かりましたが、医師の心無い言葉に傷つき、治療を断念し、次の医療機関にかかる気持ちにもなれませんでした。
ところが、昨年の11月にパソコンを始めて、ネットでOCDに悩む方々のサイトを知り、関わりを持つようになり、「悩んでいるのは、私だけではない。私には、仲間がいる。」と心が軽くなりました。また、そこで知り合った多くの方に受診を勧められ、治療を始めました。通い始めた病院もネットで見つけた所です。そこはHPを開いていて、先生あてに掲示板で質問をしたところ、丁寧にレスをつけてくれて、信頼できると、確信し受診しました。大正解でした。
もし、私がパソコンを始めてなかったら、今でも、只一人黙々と確認作業をしながら、泣いていたと思います。パソコンとの出会いは私の人生のある種、転機だったと思います。
OCDはまだまだ、世間に「神経質なだけ」と単純に思われ本人の辛さは理解してもらえないのが現状です。
だけど、止めたいと心から願っているのは、良くなりたいと望んでいるは誰よりも本人自身なのです。
不安がひどくなり、自分でも気にする必要がないとわかっていても、気になって頭から離れずに、ほかのことが手につかなくなることを「強迫観念に襲われる」と言い、この強迫観念が異常に強くなって、日常生活にまで支障をきたす状態を「強迫性障害」と言います。
本人もバカバカしいことだと自覚していますが、やめられないのです。強迫観念には次のようなものがあります。
・ガス栓の閉め忘れや鍵のかけ忘れが気になって、強い不安に襲われます。
・自分が汚いものにさわるのではないか、細菌に感染するのではないかなどという強迫観念から、特定のものにさわることができなくなります。公衆電話の受話器や電車の吊り革にさわれない、公衆トイレに入れないなどが多く、ひどいときには家から出ることができなくなります。
・満員電車に乗ると女性にワイセツな行為をしてしまうのではないか、プラットホームにいると電車に飛び込んでしまうのではないかなど、絶対にそんなことをするはずがないと頭でわかっていながら、その衝動にかられそうになって不安になります。
・机の上が乱雑だと強い不満を抱いたり、物が対称に並んでいないと気になってしかたがなくなります。
・手の皮膚がすり減るほど手洗いを繰り返すなど、何度も何度も同じ行動を繰り返してしまいます。
(ここに揚げたのはほんの一例です)
因みに私は、ガスの元栓が気になる、戸締りが気になるなどの確認癖の強迫性障害です。
発病して4年になります。この4年間回りの人に「気の持ちよう」「性格が弱いからで、気合が足りない」などと理解してもらえず、自分の力で、何とか克服しょうとしてきましたが、毎日が苦しく、いっそ、いなくなりたいと考えていました。発病当時、心療内科に掛かりましたが、医師の心無い言葉に傷つき、治療を断念し、次の医療機関にかかる気持ちにもなれませんでした。
ところが、昨年の11月にパソコンを始めて、ネットでOCDに悩む方々のサイトを知り、関わりを持つようになり、「悩んでいるのは、私だけではない。私には、仲間がいる。」と心が軽くなりました。また、そこで知り合った多くの方に受診を勧められ、治療を始めました。通い始めた病院もネットで見つけた所です。そこはHPを開いていて、先生あてに掲示板で質問をしたところ、丁寧にレスをつけてくれて、信頼できると、確信し受診しました。大正解でした。
もし、私がパソコンを始めてなかったら、今でも、只一人黙々と確認作業をしながら、泣いていたと思います。パソコンとの出会いは私の人生のある種、転機だったと思います。
OCDはまだまだ、世間に「神経質なだけ」と単純に思われ本人の辛さは理解してもらえないのが現状です。
だけど、止めたいと心から願っているのは、良くなりたいと望んでいるは誰よりも本人自身なのです。
コメント
文学書でした。そして思い切って精神クリニックにかかり、
薬を処方してもらいました。今60才になりますが薬もひところの1/3になり上手に付き合っています。一日が楽しいことに
なるよう勤めています。確認癖の裏にはいやな思い出の回路が悪さをしているような気がするからだ。楽しい神経回路を
出来るだけ太く強くしようと心がけることが良いような気がする。この病気の人は他の人と比べて決して劣ってはいない。私は高校の教員を去年退職した者です。 成すがまま、楽しくーーーね。